岩倉使節団のイギリス滞在
⚫1871年、岩倉具視を中心とする使節団が海外の先進国の制度を学ぶために派遣されました。
⚫この使節団は特にイギリス長く滞在しました。
⚫当時のイギリスは産業革命を経て強い国力を持ち、商業と海軍力で世界をリードしていました。
⚫この滞在から日本はイギリスの強さの秘密を学びました。
大久保利通と政治改革
⚫岩倉使節団の一員で、大久保利通は日本の政治改革に大きな影響を与えました。
⚫彼は国民が政治に参加できるような立憲国家を目指し、憲法の制定や自由民権運動の推進に取り組みました。
⚫この動きは国民の権利を守り、政府をより構公正にるための重要なステップでした。
伊藤博文と大日本帝国憲法
⚫伊藤博文は、ドイツの中央集権的な立憲国家をモデルにして日本の憲法を制定しました。
⚫1889年2月11日、大日本帝国憲法が発表されました。
⚫この憲法は天皇に大きな権限が集中し、国民の政治参加は制限されていました。
⚫しかし、これは当時の日本にとって大きな進歩でした。
国会の設立と選挙制度
⚫憲法の発布と共に1890年、日本で初めて国会が開設されました。
⚫この国会は、衆議院と貴族院の二院制で構成されており、衆議院は国民による選挙で選ばれました。
⚫ただし、選挙権は25歳以上の男子で一定額以上の税金を納めているものに限られました。
⚫これは当時の日本社会の現実を反映していました。
内閣制度の確立
⚫1885年には近代的な行政機構として内閣制度が創設されました。
⚫内閣は国会でなく天皇に対して責任を負い、内閣総理大臣の選出には特別な規定はありませんでした。
これにより日本の政治をより効率的な運営がなされるようになりました。
枢密院憲法の最終審議
⚫1888年には憲法草案の最終審議を行うために枢密院が設置されました。
⚫この枢密院は憲法の基礎をしっかりと固める役割を果たしました。
⚫そして翌年の1889年2月11日に大日本帝国憲法が正式に発表され、日本はアジアで初めての立憲国家となりました。
藩閥政府は、日本を近代国家にするために多くの努力を重ねました。岩倉使節団の派遣、憲法の制定、国会の設立等、一連の改革は日本の政治制度を変えました。これにより、日本は立憲国家としての第一歩を踏み出し、近代化への道を歩み始めました。